10月13日(土)国立文楽劇場で開催された「東西名流舞踊観賞会」を見に行った。二部に分かれていて、残念ながら時間的に都合がつかず、第二部のみの観賞となった。
幕開きは吉村古ゆうの「雪」。地唄舞の名曲である。着流しの舞は、これまで見た衣裳付けのどの舞よりも、女舞らしく情感に充ちていた。舞のみならず、その衣裳にも心魅かれた。濃紫の無地の着物に黒地に雪の結晶の帯。着物の八掛けも同じ黒地に雪の染。帯の雪の模様の亀甲の中に「古」と書かれていたので、おそらくは古ゆう自身のデザインによるものなのであろうか。衣裳も含めて極めて印象深い舞台であった。その後、藤間恵都子による清元「玉屋」、花柳寛十郎による長唄「娘道成寺」と続き、15分の休憩。
さていよいよ山村若の「天鼓」である。元々は世阿弥の作とも言われる能の演目である。今回は山村楽正が振り付けた一中節の曲を、山村若が初めて上演する。私は楽正が演じたこの曲を見たことがなかった。したがって前後でシテの人物が異なるこのような難しい作品を、一人でどのように演じるのかということへの興味もあった。さらにかつて見た山村若の「貴船」や「山姥」のように、能と上方舞がはっきりと演じ分けられているのか、あるいは全部を能の作法に則って演じられるのかという疑問もあった。
幕が開くと辺りは真っ暗な岸辺。やがてほんのりと明かりがさして真っ青な水面が現れる。岸辺には葦だけが揺らぎ、いちめんの青い水面にも波の揺らぎが映し出される。そこには静けさだけが漂っている。
後漢の時代、母が天から鼓が降ってくる夢を見て授かった子、「天鼓」。やがてその少年のもとに本物の鼓が降りて来て、彼がその鼓を打ち鳴らすと妙なる音が響き渡る。噂を聞いた皇帝はその鼓を所望するが、少年はその鼓と共に山に隠れてしまう。やがて探し出され、鼓は奪われ、少年は殺され大河呂水に沈められてしまう。召し上げられた鼓はそれ以来誰が打ってもなることはなかった。やがて天鼓の老父、王伯が呼び出され、その鼓を打つようにと命じられる。
観客の前に青い静けさがしばし漂った後、花道から山村若が扮する老父王伯が登場する。面(おもて)は付けていないが、白塗りの老いた表情で、おそらくは直面(ひためん)を意識しての無表情である。遅々として、時にはよろめき、老いた足取りである。
やがて湖の畔にまで辿り着く。我が子を無残に殺された無念さ。喪失の悲しみ、怒りと憤り。鼓を打つか、打つまいか、王伯は逡巡する。能では老父は参内して鼓を打つことになっているが、舞台では青い水辺の背景の前で演じられる。それは実際の風景ではなく、王伯自身の心の風景なのかもしれない。
山村若はその沈黙の演技のなかで、ただ一度だけ声にならない叫びを上げた。そして思い決めたように鼓を打つ。命じられたからではなく、その鼓を打つことによってしか、逝った息子と会う術はないと思い至ったからなのか。あるいは儚い少年のいのちの愛おしさを思う故なのか。父の思いは天に届いたのか、鼓は再び妙なる調べを響かせる。そして暗転・・・。
この暗転はかなり長いので、果たして舞台が今のように真っ暗なままがいいのか、あるいはたとえば紗幕を下ろしてその前を岸辺のままにするとか、もう少し工夫があった方がいいのか、とも思ったりした。
再び水辺の風景。青い水は青い空に変わり、白い雲が流れている。舞台には羯鼓台(かっこだい)が置かれている。下手から登場する「天鼓」。先程とは打って変わった山村若の姿である。天鼓の衣装は能の舞台そのままである。軽やかで歓喜に充ちた少年の舞。生き生きと躍動感あふれる舞であった。老人と少年の対比、悲しみに打ち沈む老残の心と、生命に充ち溢れ喜びに充ちた若い魂を、二つながらに舞い分け、演じ切った山村若の演技に感動した。
しかし同時に山村若自身は、おそらく今回の演技では満足していないのではないかという思いも抱いた。歳を重ねるにつれ、老残の演技は深みを増してゆくであろう。しかし若い少年の躍動感を演じるためには、歳の期限があるのかもしれない。世阿弥が「花」と呼んだものを自らが体することができるという期限が。その意味では早い時期の再演、再再演を期待して止まない。そしてその時こそ、山村若の完全燃焼の舞台を見ることができるのではないかという、胸の震えるような望みを覚えるのだ。
最後の舞台は尾上墨雪、尾上紫の父娘による長唄「連獅子」であった。手獅子の素踊りで清潔感に充ち、見応えがあった。また一人、舞踊会で見る楽しみな若手が増えたことを喜びたい。
(敬称略)