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    山村流舞扇会と地歌『石橋(しゃっきょう)』

    • 2012.05.24 Thursday
    • 04:06
    JUGEMテーマ:芸能


      5月20日(日)、大阪の国立文楽劇場で催された山村流舞扇会を見に行った。今年は流祖・友五郎が歌舞伎の振付師であったことから、歌舞伎舞踊として伝承されたたもの、歌舞伎舞踊から影響を受けた地歌、上方唄を中心に構成されている。第一部の終盤の長唄『大原女奴』は前半はおかめの面をつけ黒木売りの独特な姿で滑稽さを表現し、後半は衣装を引き抜き、威勢のいい国入り奴となって、奔放な踊りを披露する難しいものだが、宗家の長男である山村侑がこれまで稀であった本衣装付きで見事に舞い終えた。昨年よりも幾周りも大きくなって、悠然たる舞で将来が楽しみである。第一部の最後は山村光の『閨の扇』。三代目歌右衛門が演じた七変化所作事『遅桜手爾葉七字(おそざくらてにはのななもじ)』の一曲目「仮初めの傾城」の一部が地歌に残ったものという。目が醒めるような鮮やかな「本傾城」の衣裳と、いつもながらの山村光の溜息が出るような美しい舞を堪能した。
     第二部では若徳の長唄『島の千歳』の長袴の捌きと清々しさが印象に残っている。また若峯董の長唄『松の緑』の確かな演技が見事だった。圧巻は六世宗家・山村若の地歌『石橋』である。「今回の振付は復元ではなく、現代に於いての新しい作品として」、山村若自身が振り付けたという。地歌『石橋』は後の『変化物』に通じる歌舞伎の演出の一つ「怨霊事」の遺風を留める作品だと言われている。前半は着流しで傾城の舞を、後半は「肩獅子を付け大口を穿いて能の『石橋』に近づけている。
     それにしても山村若の扇使いはいつ見ても鮮やかである。この一瞬の演技の裏にはどれほどの時と研鑽が潜んでいることだろうか。しかもそれを微塵も見せずに。以前に「自分の演技は〈技術〉だけだ。」と言われたのを聞いたことがあるが、もしそうだとしたら、それは〈能〉でいう技術に通じるものがあるような気がする。目の前の〈技術〉に集中することによって、その演技で表現する対象の本質に迫るための〈空の器〉になるからこそ、あのような華麗な演技が生まれるのであろう。
     後半の〈獅子〉は怨霊と言うよりも、傾城そのものの可愛さだった。気高く美しい獅子の舞に暫しこの世の憂さを忘れた。

     最後にどうしても付け加えて置かなければならないことがある。それは山村若の演技だけでなく、その演技を支える舞台芸術の卓越性である。静岡の公演の時もそうだったが、今回の舞台でも実に見事に屏風を使っている。傾城の演技が終わって暗転となり、ややあって五枚の屏風の連なりが現れる。さらに照明の効果で後ろの二双は濃淡の墨色の重なりとなる。それは深山幽谷そのものなのだ。このひらめき、この発想は余人には代え難い才能である。
     その上宗家夫人の衣裳に対する抜群のセンスが加わる。頭に桜色の牡丹をつけた白獅子は、桜色の袴に黒地に金の牡丹唐草の打掛を纏っている。袖口と裾は緋色で裏打ちされている。細やかな行き届いた目線が舞台の隅々にまで届いている。そればかりではない。毎年のプログラムの詳細な説明と研究もまた、宗家夫人山村郁子の手によるものである。長年に亘る陰の労力と支えがあってこそ、あの華麗で見事な舞台は紡ぎ出されるのである。常に謙遜で熱心なお二人に敬意を表したいと思う。                 (敬称略)

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      コメント
      おかしいくらい褒めてあったし(宗家は素晴らしいと思ったよ)他はそうかな?と思ったものもあるし〜
      でも素直な意見だったらそれはそうかなと思わないといけないかな〜
      • ピノコ
      • 2012/05/24 5:45 PM
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