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    「風の起こる処」第3章 少年時代(その1)

    • 2012.11.17 Saturday
    • 00:48
    第三章 少年時代

     当時の讃岐國の中心は現在の讃岐府中駅の周辺にあった。当初の予定では丸一日かけてゆっくり讃岐國府跡の全貌を見たいと思っていたが、目覚めると既に雨。それも集中豪雨になりかねない天候である。予定を変更して午前中で切り上げることにして、とりあえず讃岐國府跡を見に行くことにする。前夜宿泊した丸亀を出て、国道11号線をひたすら東へ進み、予讃線の踏切を越え、線路沿いに駅の手前まで来て、善通寺の方へ再び引き返す。すぐに「埋蔵文化センター」の表示を見つけ右折して小さな橋を渡る。資料によるとここからすぐに右手の田圃の中に国府跡が見えるはずなのだが、建物が立っているせいか、全く何も見つからない。暫く車を走らせ、これ以上行くと遠ざかるだけだと思って、一旦道の端に寄せて停車する。位置を確かめるために車から降りると、すぐ後の道の角を入ったところに小さな石碑が建っている。近づいてよく見ると、崇徳天皇が都からこの讃岐に流されて、住んでおられた時に使われた泉水の跡で、「内裏泉」と彫られている。暫く眺めた後に、その細い道をもう少し進み、さっき来た道に再び戻って、同じコースを辿り、再び最初の橋のところまで戻る。今度は見落とさないようにゆっくり進むと、川を渡ってすぐのところに、手書きで「府庁跡への近道」と矢印が出ているのを見つけ、右折して進むと、田圃の中を細い道がどこまでも続いている。途中までそのまま車を走らせていたが、これまでの舗装した道が途切れ、地道になってしばらくすると墓地に辿り着く。田圃の真中で見晴らしの良いところだったので、車から降りて辺りを見ると、左手のはるか向こうに白い木の道標が見える。何本かの舗装された道があって、国府跡と見られるところまで続いてはいるがかなり細く、このまま進んだらもしかして通れなくなった時、引き返せなくなるかもしれないと思い、とはいえこのまま道を塞いだまま、車を置いておくわけにも行かず、仕方なく少し広い場所までバックで引き返すことにする。こんなところまで来てまさか昔教習所で経験したのと同じことをする羽目になるとは・・・。

     傘を差して一人で歩いて行くと、辺りは一面田植えが終わったばかりの田圃である。城山がなだらかな美しい姿を水田に映している。ようやく讃岐国府跡と書かれ、石積みで囲われた石碑の立つ場所に辿り着く。今はかなり発掘調査が進んでいて、この地域に国府としてのさまざまな機能を持つ建物が散在していたことが明らかになっている。横に立てられた木の板に、その配置図が書かれている。

     その中に「聖堂」と書かれているのが、その当時、「国学」と呼ばれた地方の教育機関である。七〇一年に制定された「大宝律令」によって、中央には本科と数学科からなる中央の官僚養成機関である「大学(大学寮)」が置かれ、地方には国毎に、郡司の師弟を教育する地方の官僚養成期間である「国学」が置かれた。いずれも身分や年齢による入学制限があった。

     少年真魚はおそらく十三歳の頃にこの「国学」に入学したと思われる。あるいは入学しないまでも、それに近い勉学を習得したに違いない。年譜には誕生の時から十五歳までは全く空白であるが、『御遺告』に「爰外戚舅阿刀大足大夫等曰。縦爲佛弟子不如出大學令習文書立身。任此教言受俗典少書等及史傳兼學文章。」(ここに母方の親戚で伯父に当る阿刀大足などが、「たとえ(夢にみたように)いずれ仏の弟子になるかも知れないが、大学に入って世俗の学問の書物を学び、身を立てるようにさせるのが最上である」と勧めた。そのすすめにしたがって世俗のいくらかの書物などや史伝について教えを受け、同時に文章についても学んだ。)と書かれている。いかに真魚が神童と呼ばれた少年であったとしても、入京する十五歳までにこれだけのことを学ぶには、とても一年では足りないと思われる。また、阿刀大足から個人的に学んだとしても、それは善通寺のある多度津近辺ではなく、さまざまな学問の書物や、人材の集積された讃岐国府の近くでなければならなかった。 

     話は遡るが、ずっと以前に、この「空海を巡る旅」を計画していることを、今は亡き村岡空師にお話したことがあった。その時、村岡師は私が列挙した場所の他に、「是非行って見なさい。」と、満濃池ともう一つ、ある神社の名を挙げられた。多分その時、「空海のお母さんの実家があったところ」という言葉を使われたと思う。実際に行くことになったら、もう一度詳しく伺うつもりで、もう何年も歳月が経ち、メモを取ったかどうかも定かではなくなって、当のご本人も既に彼岸に旅立ってしまわれた。今回、旅に出る前にそのことを思い出し、私は朧な記憶を手繰り寄せるべく、さまざまな本や地図、さらにはネットをも駆使して、何とか目的地に辿り着こうと試みた。その話を伺ったすぐ後に、一度だけ地図上で探したことがあったような気がして、何となく、屋島だったか、五色台だったか、近くにあったような・・・ということだけを頼りに、香川県内の神社を片っ端から調べてみた。

     何日かの後、その中の神社の縁起を調べていて、思いもかけぬ言葉が飛び込んできた。「創祀年代は不詳。社傳によると、神谷に自然に出現した僧侶によって祀られた社だという。その後、嵯峨天皇弘仁三年に、弘法大師の伯父・阿刀大足によって社殿が造営され、春日神を配祀されたという。」

     「これだ!」と私は心の中で叫んでいた。地図を見て確認する。讃岐国府跡から真北に3劼里箸海蹐任△襦G鯤寺のある白峰山の麓で、五色台はそこからさらに北東に当る。

     当然のことながら、今回のコースにこの神社を入れていた。大雨のなか国道11号線を暫く進んだ後、五色台の方へ向かう道に入り、神谷町の信号のところでさらに細い道へ入る。小さな橋を渡ってすぐに右折すると、石の鳥居が見える。神社の参道である。そこからさらに東へ真っ直ぐ進むと境内の石の鳥居の向こうに朱塗りの神殿が見える。鎌倉時代の建造物で国宝であると書かれている。資料には創祀年代不詳とあったので、もしかして平安朝の建築物が遺っているのでは、という期待ははずれたが・・・。本殿は鎌倉初期に建築された三間社流れ造りで、当初のままに現存し、建築年代の明らかな社殿としては我が国最古のものであるという。しかし肝心の本殿は、朱塗りの社殿の奥に位置するのでよく見ることが出来ない。一旦境内を出て、裏に回ることにする。社前広場の左側には七重層塔が二基建っていて、塔身には仏像形と梵字が彫られている。横手に回ると社殿の塀の外に細く背の低い六角の石塔が立っている。その前にも石の鳥居がある。これも鎌倉末期のもので経塔と考えられるという。いずれも元はこの社の神宮寺であった清瀧寺のものだという。

     社殿の後ろに回ると土塀の周りは鬱蒼とした森である。ここでも樟の大樹が目に付く。地面はびっしりと春の落葉に覆われている。所々に小さな塔のように石が積まれている。大きな岩もある。そこからさらに山道を50mほど登ると、神谷川の側に巨巌がある。古代神谷神社が建立されるまでは、この巌が神の依代として祀られたで、古代祭祀の址であるという。由緒書を見ると「神谷神社の創祀は、太古、神々がこの渓谷に集い遊んだところからこの地を神谷と言い、また自然居士なる人がこの川淵に忽然と現われ、傍の対岸を祭壇として天津神を祀ったと傳えられているが、この付近からは弥生時代の石 ・石斧・土器などが出土し、神社の裏には影向石と呼ばれる磐座があって、その祭祀が古代に創ることを物語っている。」と書かれている。 

        

     この神谷神社の他にもう一つ、鴨神社という神社が予讃線鴨川駅からほんの少し東側に存在する。現在では香川県坂出市加茂町という地名になっているが、神谷神社の真南にあたり、五夜嶽、烏帽子山の麓である。現在は東鴨神社、西鴨神社の二社に分かれているが、当初からそうであったのかどうか。このうち東鴨神社(香川県坂出市加茂町九九二)は、社伝によると弘仁四(八一三)年、空海の伯父、阿刀大足が大和国高鴨社を勧請したと言われている。当時は大明神原という場所に鎮座していたが、焼失により現在地に遷座したという。もとは葛城社とも呼ばれ、玉依姫命を祀っている。もう一方の西鴨神社の方は、天平年間、時の国司藤原景高が、雷雨洪水の害を除くため、賀茂別雷神を勧請したものという。現在でも東鴨神社の辺りは鴨庄と呼ばれている。 

    阿刀大足とはいかなる人物であったのだろうか。村岡空師はその著作「優波塞仏教と空海」(『弘法大師空海―密教と日本人』第四章 和歌森太郎編著 遊渾社 一九七三)のな

    かで、空海の父の出自である佐伯氏と、母の出自である阿刀氏のことを詳らかに述べている。それによると「空海の父方の先祖は大伴氏系ではあるが、厳密に言えば蝦夷人であり、」母方は「物部氏系の阿刀氏」であり、「大伴・物部、大伴・佐伯部という両氏族の対立の歴史からすれば、皮肉にも敵方との婚姻関係が二重三重に結ばれて来た」のであり、さらに「こうした血脈があったればこそ、人間空海の重層的な性格の曼荼羅構造が生まれたとも言えるのではないだろうか。」と結ばれている。まことに興味深い指摘である。

    『続日本紀』に「承和二年三月庚午(二十五日)、(略)法師(空海)者、年十五、就舅従五位下阿刀宿禰大足讀習文書」と、また『三教指帰』の序文に「余年志學、就外氏阿二千石文學舅、伏膺鑚仰」と書かれているように、少年真魚にとってはこの母方の伯父、阿刀宿禰大足が、最初の学業の師であった。先に述べた阿野郡鴨部郷に領地を持っており、その近辺にその住まいがあったものと思われる。おそらく就学前の真魚も、善通寺のあたりから幾度もそこに通い、あるいは滞在し、この伯父から「文書を読み習った」のであろう。『文鏡秘府論』に「貧道幼就表舅、頗學藻麗、長入西秦、粗聴餘論、雖然志篤禅黙不屑此事」とあるのが、この頃のことと思われる。 

    ここからは幻想あるいは妄想である。もしくは筆者の創作だと思って頂いてもよい。この辺りに阿刀氏の広大な屋敷があり、少年真魚が伯父阿刀大足から学業を学ぶために滞在していた。生家のある多度郡の辺りの山々を、すでに幼年の時から駆け回っていた真魚にとって、山野は親しい友であった。北を眺めれば白峯山、南には五夜嶽、烏帽子山が連なっていた。国府までの行き帰りを、真魚は平坦な道だけではなく、時にはこの山の尾根伝いに歩くこともあった。烏帽子山を降りて少し西南に下るとそこはもう国府であった。

    その途中の道には沢山の巨石の群れがあった。そのなかでも殊に大きな石が目を引いた。磐座であった。時にはその磐座の上で異様な風体の男に遭遇することもあった。一人の優婆塞が一心不乱に天神地祇を祀っていたのだ。昼でもなお薄暗い森の奥の光景は、少年の心の奥底に言い知れぬ謎を植え付けた。そのあたりは神楽谷と呼ばれていた。谷を流れる川は讃岐岩の硬く黒い肌から湧き出でていた。その磐を叩くと、あたりの森や谷に音が広がり、遠くまで透明な響きが広がった。

            

    白峯山から五色台(国分台)にかけては日本でも有数の讃岐岩(安山岩=サヌカイト)の産地である。神谷神社の境内の裏の森のなかの石の群れや、由緒書に記載されている「影向石」と呼ばれる磐座も、サヌカイトの一種であったのであろう。

     ひとりの人間の十五歳前後の頃の心や精神の在り様は、おそらく一生に通じるものがあるのではないだろうか。最も感じ易く、最も柔らかな魂の所在。限りなく可能性を秘め、限りなく感受性に富み、けれど同時に限りなく脆く傷つき易い、孵化して間もない雛のような心の苫屋。この頃の、眼で見て、耳で聴き、五感で触れたすべてのものが、サヌカイトの音のように心の奥底、魂の深遠にまで響き渡っていたことに、少年真魚が気づくまでには、まだかなりの歳月が必要なのであった。

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      コメント
      随筆ですか、何か学生時代に戻ったような懐かしい気持ちで読ませていただきました。名前を呼ばれて朗読した時のことが何故か思い出されて不思議な気持ちになりました。とても多彩な才能を持たれていて凄いとしか言いようがないです.大和に住みながらあまり関心なく生活して来たのは残念な人生だったのかなと思い知らされました。スゴイ行動力と探究心を持たれておられ感心いたしました。
      • 窪 美はと
      • 2012/11/17 4:03 PM
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