今月は2度も滋賀県内の美術館に行くことがあった。一度目は滋賀県立近代美術館。以前に来たときは車だったが、今回はJRの新快速で石山まで乗り、普通に乗り換えて瀬田駅で降り、そこからバスに乗った。(予断だが、帰りはたとえ高槻まで各駅停車であれ、快速に乗るのをお勧めする。行きと同じように石山まで普通に乗り、新快速に乗り換えたのだが満員。京都で席が空くかと思ったが、さらに満員の度合いは増すばかり。結局大阪に着くまでは立ったままだった。)
とりあえず美術館に戻ろう。今回の展示は「志村ふくみの紬織りを楽しむ」。すでに1月から始まっていて、常時35点ずつの展示で中2回の展示替えがあった。私の見たのはその最後の会期の時であった。その中で一番心惹かれた作品は「谷間」と題された平成4年に作られた着物である。ほとんど色のない生成りの地色に控えめな紫のラインが入ったもので、紬の地が素朴で、かつ豊かさを湛えて広がっている。紫は何の象徴なのだろうか。「谷間」のイメージを思い浮かべてみる。光が降り注ぐのではなく、光が立ち昇って来る空間に影のように浮かんでいる紫の花。桐の花か、藤の房か。あるいは名も知らぬ草の花か。いずれにせよ、谷間にひっそりと咲く清らかな可憐な花であろう。
志村ふくみの織はいつもどこかに光を隠し持っている。「塔」(雪、月、華)と名づけられた連作はクロード・モネの「ルーアン大聖堂」の連作を思い出させる。モネは同じ位置から約30点の同じ構図の大聖堂の絵を描いている。朝霧が立ち上がる前の瞬間から夕方最後の陽光が消える一瞬まで。彼は大聖堂そのものを描いたのではなく、光を描いたのだ。志村ふくみもまた布を織ることによって光を描いたように思われる。それはおそらくシュタイナーの影響もあるに違いない。彼女自身が人智学の偉大なる思想家ゲーテの『色彩論」についてエッセイの中に書いている。かなり以前に京都の何必館で開催された展示を見たときには薄物が多かったせいか、本当に布や着物が展示されているというよりも、光そのものを見たような気がした。
今回、もう一つ興味深かったのは、着物や反物ではなく、雛形やコラージュの展示である。現代美術で有名な佐谷画廊プロデュースの「志村ふくみ展―裂を継ぐ」からこのようなかたちが生まれてきたようだ。きわめて緊迫し、根を詰めるであろう永年の織の作業の果てに、まるでクレーやマティス(彼女自身も書いているが)のような、このような色と遊ぶ世界が広がってゆくことを喜びたいと思う。
もう一つ、とても嬉しい展示があった。今年の初めに出版された志村ふくみの『小裂帖』の原本を見ることが出来たことだった。これまでに織られた布地の(文字通り)裂を彼女自身が貼った「裂帖」である。それは単なる「裂きれ」を収めたものではなく、彼女自身の永年の精根と、苦楽と、何よりも愛情がぎっしり詰まった、魂そのもののような「作品」である。
今回の「志村ふくみ展」は私の最大の道楽である「着物」欲??を大いに満足させてくれただけでなく、芸術についても考えさせてくれた。また帰り道に美術館の園内に置かれた亡くなった山口牧生さんの彫刻に再会できたことも幸せなことだった。
滋賀で訪れた美術館のもう一つはMIHO MUSEUMである。何年か前に尾形乾山展を見に来たことがあった。今回は信楽に親戚の見舞いに行き、その帰りに立ち寄った。残念なことに後30分で閉まるということで、正門からさらに電気自動車で上がって行かなければならず、美術館の中へ入るのはもう無理だということであきらめた。美術館への坂道には枝垂桜がずっと植えられていて、それだけでも見て行って下さいとガードマンが勧めてくれたので、エントランスから少しの間坂を上った。枝垂桜はまだ五分咲きだった。
一本の辛夷が光を集めて立っていた。