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    暦の話 弥生

    • 2007.04.29 Sunday
    • 07:00
     あと一日で4月も終わり。でもそれは新暦(西暦)の話。仕事など公的なスケジュールはもちろん西暦だが、最近個人的な生活では旧暦のカレンダーを使うことにしている。月の満ち欠けの周期をベースに太陽暦の要素を組み入れたもので、江戸末期の「天保暦」が最も精度が高いものだと言われている。
     今までは二十四節気と七十二候が書き込まれている、新暦と旧暦が併記されている大きなカレンダーを使っていたのだが、今年は一衣舎さんのホームページで教えて頂いたLUNAWORKSの高月美樹さんが作られた『旧暦日々是好日』という小冊子を使っている。
           一衣舎 http://www.kt.rim.or.jp/~ichieya/
           LUNAWORKS http://www.lunaworks.jp/
    素敵な絵も入っていて、季節の言葉も細かくわかりやすく紹介されている楽しい本で、それによると今日は弥生の14日ということになる。
     弥生は桃の節句から始まる。新暦では3月3日、旧暦では今年は4月19日がその日に当たる。娘が誕生した時に庭に一本の桃の木を植えた。その家の向かいにある現在の家に移る時に、その木も一緒に引っ越して来た。1mにも足らない苗木だったが、今ではもう私の背丈をはるかに越えている。それで初めて知ったことだが、桃の花は桜の花とほとんど同時期に咲く。枝垂桜と麒麟と名づけられた八重桜と桃の花が同時に咲く様を最初に見た時、(枝垂桜は植木屋さんが植えたものだが後の2本は小さな木を私自身が植えたものである。)桃源郷とはこういう情景を言うのか、と感に堪えなかった。
     私は洋服と着物を半々位で着ているが、(但し寒がりなので11月から3月初めまではほとんど着物である。)この季節は着物にとっても楽しみな季節である。縮緬などの冬場の重い織物から、塩瀬や綸子などの軽い生地で、明るい色調のものに変える。あるいはもし冬の着物と同じものを着るとしても、帯には春の季節を取り入れる。タンポポ、スミレ、カタクリなどの野の花。ヤマボウシ、エゴノキなどの木に咲く花。そして何より楽しみなのは桜である。

    昨今、桜は日本の象徴として季節にこだわらず年中着ることが出来るようになった。そのことに異論を唱えるつもりはないが、季節の到来を待ち望み、生活の中でめりはりをつけ、変化を見出すということも大きな喜びである。その意味では従来のように初春を迎えてから桜の着物に袖を通し、その花の咲く前に着るのをやめるという着方の方が納得がいく。本当の花に勝る花はない。これから楽しめるのは藤や菖蒲の花である。

    滋賀の美術館巡り

    • 2007.04.21 Saturday
    • 20:11
     今月は2度も滋賀県内の美術館に行くことがあった。一度目は滋賀県立近代美術館。以前に来たときは車だったが、今回はJRの新快速で石山まで乗り、普通に乗り換えて瀬田駅で降り、そこからバスに乗った。(予断だが、帰りはたとえ高槻まで各駅停車であれ、快速に乗るのをお勧めする。行きと同じように石山まで普通に乗り、新快速に乗り換えたのだが満員。京都で席が空くかと思ったが、さらに満員の度合いは増すばかり。結局大阪に着くまでは立ったままだった。)
     とりあえず美術館に戻ろう。今回の展示は「志村ふくみの紬織りを楽しむ」。すでに1月から始まっていて、常時35点ずつの展示で中2回の展示替えがあった。私の見たのはその最後の会期の時であった。その中で一番心惹かれた作品は「谷間」と題された平成4年に作られた着物である。ほとんど色のない生成りの地色に控えめな紫のラインが入ったもので、紬の地が素朴で、かつ豊かさを湛えて広がっている。紫は何の象徴なのだろうか。「谷間」のイメージを思い浮かべてみる。光が降り注ぐのではなく、光が立ち昇って来る空間に影のように浮かんでいる紫の花。桐の花か、藤の房か。あるいは名も知らぬ草の花か。いずれにせよ、谷間にひっそりと咲く清らかな可憐な花であろう。
     志村ふくみの織はいつもどこかに光を隠し持っている。「塔」(雪、月、華)と名づけられた連作はクロード・モネの「ルーアン大聖堂」の連作を思い出させる。モネは同じ位置から約30点の同じ構図の大聖堂の絵を描いている。朝霧が立ち上がる前の瞬間から夕方最後の陽光が消える一瞬まで。彼は大聖堂そのものを描いたのではなく、光を描いたのだ。志村ふくみもまた布を織ることによって光を描いたように思われる。それはおそらくシュタイナーの影響もあるに違いない。彼女自身が人智学の偉大なる思想家ゲーテの『色彩論」についてエッセイの中に書いている。かなり以前に京都の何必館で開催された展示を見たときには薄物が多かったせいか、本当に布や着物が展示されているというよりも、光そのものを見たような気がした。
     今回、もう一つ興味深かったのは、着物や反物ではなく、雛形やコラージュの展示である。現代美術で有名な佐谷画廊プロデュースの「志村ふくみ展―裂を継ぐ」からこのようなかたちが生まれてきたようだ。きわめて緊迫し、根を詰めるであろう永年の織の作業の果てに、まるでクレーやマティス(彼女自身も書いているが)のような、このような色と遊ぶ世界が広がってゆくことを喜びたいと思う。
     もう一つ、とても嬉しい展示があった。今年の初めに出版された志村ふくみの『小裂帖』の原本を見ることが出来たことだった。これまでに織られた布地の(文字通り)裂を彼女自身が貼った「裂帖」である。それは単なる「裂きれ」を収めたものではなく、彼女自身の永年の精根と、苦楽と、何よりも愛情がぎっしり詰まった、魂そのもののような「作品」である。
     今回の「志村ふくみ展」は私の最大の道楽である「着物」欲??を大いに満足させてくれただけでなく、芸術についても考えさせてくれた。また帰り道に美術館の園内に置かれた亡くなった山口牧生さんの彫刻に再会できたことも幸せなことだった。

     滋賀で訪れた美術館のもう一つはMIHO MUSEUMである。何年か前に尾形乾山展を見に来たことがあった。今回は信楽に親戚の見舞いに行き、その帰りに立ち寄った。残念なことに後30分で閉まるということで、正門からさらに電気自動車で上がって行かなければならず、美術館の中へ入るのはもう無理だということであきらめた。美術館への坂道には枝垂桜がずっと植えられていて、それだけでも見て行って下さいとガードマンが勧めてくれたので、エントランスから少しの間坂を上った。枝垂桜はまだ五分咲きだった。

    一本の辛夷が光を集めて立っていた。

    久米寺

    • 2007.04.15 Sunday
    • 11:31
     4月1日に一昨年亡くなられた村岡空さんの三回忌法要と墓地の落慶供養に伺う事になり、早朝に出て遅刻するのも困るし、骨休めを兼ねて前夜、西吉野の近辺にに泊まることにした。吉野山での宿泊先をまず探したがすべて満員で、結局近鉄の橿原神宮前駅の近くのホテルにした。場所を確認するために地図を見ると、すぐ近くに久米寺の文字があった。以前に「上求菩提下化衆生」(じょうぐぼだいげけしゅじょう)と題して、空海との出会いを書いたことがあるが、(拙著『夢の周辺』収録)そこにも引用した司馬遼太郎氏の『空海の風景』の中に次のように書かれている。
     「『大日経』七巻三十六章はすでにインド僧の手で唐の長安にもたらされ、そこで漢訳されている。しかし、日本に招来され、書写されたのち、そのまま経蔵にあるぼう大な経巻のかげにうずもれてしまい、半世紀ほど経て空海がそれを見るまで、たれもこの経を解せず、ついには所在さえ知れなくなってしまっていた。異質の思想は異質の天才の出現を待つ以外になかったともいえるかもしれない。
     『御遺告』によれば、空海は夢にこの経を感得したという。空海は、大和国高市郡久米寺の東塔下において大日経を発見したのである。」
     上記のエッセイを書いたのはもう十年以上前になるが、それ以来ずっと一度久米寺を訪れたいと思っていた。それが今図らずも眼前に現れたのである。
     橿原に着いたのはもう夕方五時前だった。寺門が閉まってしまうと困ると思い、ホテルに行く前に私は久米寺へ向かった。門が閉まるのではと思ったのは全くの杞憂で、どうやら一日中開放されていて、近所の人たちの犬の散歩のコースのようだった。のんびりした静かな佇まいの中にいくつかの建物が散らばって建てられている。本堂、地蔵堂、観音堂、大師堂、   大師堂 

     
    弘法大師石、弘法大師石  そして多宝塔。  多宝塔  昔の東塔の礎石の上に多宝塔は建てられたという。現在では再建され、礎石は塔の北側にある。多宝塔は空海が大日経を発見した塔ではない。いわば証しの塔なのだ、ひとが、あるいは事物が存在したという・・・。それだけで充分だと思う。かつて空海が生きて立っていた場所に、千年以上を経て今私が立っている、ということが私にとっては大事なことだった。そして何よりも「六大」をテーマに再度書き始めた「空海論」続篇ともいうべき「風の起こる処」を頓挫している私が、偶然ここに立っているという不思議さ。おそらくは亡くなった村岡さんの叱咤激励であろうと思えてならなかった。
     翌朝、吉野行きの電車に乗り、下市口からタクシーで西吉野の光明寺へ向かった。運転手に聞くと吉野山の桜は全く咲いていないという。そして私は幸いにも道の途中の山間の村で朝の光を浴びる清楚な一本の枝垂桜に会った。

    NAOSHIMA STANDARD2 その3

    • 2007.04.13 Friday
    • 19:14
    大竹伸朗 「舌上夢/ボッコン覗」











                        」

                              上原三千代「いつかは眠り猫」


    style=
      直島の生きた猫。何となくトトロを思い出す。

     (直島便りはこれで終わりです。NAOSHIMA STANDARD2も15日で終わります。)

    NAOSHIMA STANDARD2 その2

    • 2007.04.13 Friday
    • 01:17
    千住 博「ザ・フォールズ」の一部を倉の外から眺める。"  style=



     style=   須田悦弘「椿」2006”



    三宅信太郎「魚島潮坂蛸峠」"         style=

    MUSEUM&OVAL

    • 2007.04.13 Friday
    • 00:08
     夕食の後、MUSEUMを見て歩いた。家の中を歩くように美術館の中を歩けるのは素敵なことだ。昔、100号の油彩キャンパスを担いで行って散々酷評を受けていた春陽会の研究会で、親しく教えて頂いたある画家の愛した、ラウシェンバーグの実物の絵に会えたことは嬉しいことだった。
     夜遅くMUSEUMからゴンドラに乗ってOVALに上った。ドアを開けるのに手間取っている間に下でスイッチを押されてしまって、降りる前にもう一度下の駅に戻り、2往復する羽目になったが、夜のOVALは神秘的だった。明かりに照らされた人口の滝、灯影を映す池、屋上からの海景、さらに見上げると満天の星。都会ではこれほどの明るい星に出会うことはない。

     翌朝MUSEUMをチェックアウトして、途中、大竹伸朗の「シップヤード・ワークス」や、他の屋外作品を見てから、朝食を摂るためにPARKまで歩いた。その後Benesse Houseを後にしてバスで本村ラウンジ&アーカイブに向かう。
     さていよいよここからがNAOSHIMA STANDARD2である。入場カードを首に掛け、ガイドブックを見ながら、村の中に散らばった「家プロジェクト」を訪ねて歩く。面白いことに作品としての「家」の間にある民家が、夫々に意匠を凝らしたり、見せる工夫をしていることだ。各戸の門には加納容子の作品である暖簾も掛かっている。こうして歩いてみると総合プロデューサーの福武總一郎の「アートの日常化」の意味もわかるような気がする。










    地中美術館

    • 2007.04.11 Wednesday
    • 01:25
     安藤忠雄そのものの建築の中を歩いていく。ここでもやはり雨に濡れて歩かなければいけないところがあった。(わずか10m程の距離なのに定番の白いビニール傘が置かれていたのには笑ってしまったが。)コンクリートのモノトーンの中の木賊の緑は美しかった。長い通路の果てに暗闇の中に入る。そして靴を脱ぎ、白い部屋へと導かれる。
     モネの絵は美しかった。そしてモネの絵は抽象なのだとあらためて実感する。静けさ。激しさ。そのいずれもが絵の中に存在する。これまでにおそらく数え切れないほどのモネについての評が書かれたであろうが、モネの絵はただ見る以外にはないのだと思う。
     次にジェームズ・タレルの「アフラム・ペール・ブルー」「オープン・スカイ」を見る。見るというよりも経験するというべきかもしれない。いや、それも正確ではない。見るための装置、というべきなのか。彼は限られた矩形の中へ無限を容れようとする。しかも刻々と変化してゆく無限である。私が見たものは青い空と雲だった。しかし一瞬として同じもの、留まるものはなかった。それはどこまでもうつろいゆき、しかも永遠につながるのである。「雨上がりの青空と流れる雲」がその時私が見た光の表情だった。そのわずかな時で、夕映えや星空を見ることは叶わなかったが、見えないからこそ私たちはその豊穣さを感じることが出来る。想像のなかで。
     タレルのもう一つの作品、「オープン・フィールド」は不思議な空間である。詳しく語ってしまうと今後訪れる人の楽しみを奪うことになるので、これ以上は言わないが、霧のなかで色と光に包まれるのだ。私たちは出会っていたかもしれない。こんな空間に。もしかすると生まれる前に?あるいは死後に?
     最後の作品はウォルター・デ・マリアの「タイム/タイムレス/ノー・タイム」である。その空間は無宗教の聖堂のようだった。しかも地球そのものだった。そしてその地球はどの角度から見ても空を映していた。そして同時に私自身もそこに映っていた。
     地中美術館から出ると、空はすっかり晴れていた。museumの部屋に帰ると夕映えが辺りを包んでいた。

    NAOSHIMA STANDARD2 その1

    • 2007.04.10 Tuesday
    • 00:58
     3月の半ばに直島に出かけました。神戸から岡山まで新幹線こだまで44分、そこから宇野駅まで在来線で1時間ほど。宇野港から直島宮之浦港へはフェリーで20分。ちょっとした小旅行です。港へはその日宿泊予定のBenesse Houseのバスが出迎えに来てくれています。Benesse House museumにチェックインしてから安藤忠雄の建築で有名な地中美術館へ。この美術館は1999年、現在ベネッセアートサイト直島代表の福武總一郎がモネの最晩年の5点の睡蓮の絵を購入したことから、その展示場所として2年がかりで作られたものです。
     この美術館のことを語る前にエピソードを一つ。再びバスに乗るために駐車場で待っているとかなり強い雨が降ってきて、ようやくバスが来たとき、ふと海を眺めると陸から海にかけて大きな弧を描いて虹が掛かりました。もっと見ていたいと思いながら、バスの時間も気になって後ろ髪を引かれる思いでバスに乗ると、5、6人の若い人たちが乗り込んできて、一番後ろの席に座った人がその虹に気づいて叫びました。「***!」それは意味不明の言葉でしたが、どうやら中国語で虹という言葉らしいということは何となくわかりました。その中の一人がたどたどしい日本語で、運転手に「写真を撮って来るので少しだけ待って。」と頼み、全員がまた慌てて外へ飛び出して行きました。なかなか帰ってこない彼らを待って、運転手は苦笑するばかり。私たちも行ったらよかった、と後悔しながら大騒ぎしている彼らを窓から見ていました。しばらくしてようやくバスは発車しましたが、皆なぜか幸福な気持ちでした。
     さて地中美術館です。入る前にレクチャーがあって、カメラやビデオなどはすべて取り上げられ、しかも各展示室毎に靴を脱がなければならず、(まだ寒かったのでまだブーツだったので余計に)少し大層だなと思わないでもなかったのですが、作品の前に立つとそういう思いは何処かに飛んで行ってしまいました。(続く)
     

    惟yi と デリスdelis

    • 2007.04.08 Sunday
    • 21:17


    新しくブログをはじめました。「惟yi」は考えること、思うこと。そして「デリスdelis」はフランス語のdelices(eに´をつける)で、最上の楽しみの意味です。季節の楽しみ、生きる楽しみを探すこと。この二つの柱をこのブログのテーマにしたいと思っています。少し難しいのですが、私は弘法大師空海について、我流に研究していて、彼は万物を構成するのは「五大」ではなく、「六大」だと言っています。つまり五大に「識」を付け加えたものです。そういう意味でこのブログの名前をつけました。
     目下のところ、私の「惟」のテーマは先に述べた空海の足跡を辿ることと、日本のキリスト教の象徴とも言える「かくれキリシタン」の潜んでいた土地(特に五島列島を中心として)を巡ることです。
     「デリス」の方は季節の風景や花々、美術工芸や音楽、衣食住にかかわるものを中心に折に触れて見たもの、聞いたこと、味わったものを紹介したり、更には皆で楽しむことも考えてゆきたいと思っています。皆様の提案も歓迎いたします。
     興味のある方はoriginal homepageの方へもどうぞ! Intergrated Starlight http://www.takesada.co.jp/~shinok/
     (リンクの欄にも書いています。)

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    ☆〔五大ごだい〕地・水・火・風・空の五つをいう。一切の物質に偏在して、それを構成するもととみて大という。 ☆〔六大ろくだい〕仏教用語で、万物を構成する六つの要素。地・水・火・風・空・識。六界。密教では法身大日如来の象徴とする。 ☆〔識しき〕仏教用語で、対象を識別する心のはたらき。感覚器官を媒介として対象を認識する。六識・八識などに分ける。 ☆〔法身ほっしん〕仏教用語で、永遠なる宇宙の理法そのものとしてとらえられた仏のあり方。

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