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    国盗人

    • 2007.07.27 Friday
    • 23:57
     兵庫県立芸術文化センターで「国盗人」を観た。W・シェイクスピアの「リチャード三世」をアレンジしたもので、河合祥一郎の作。野村萬斎が演出し、主役の悪三郎を演じている。白石加代子、今井朋彦、大森博史、石田幸雄などが共演している。松井るみによる舞台は、グレイ一色のシンプルなもので、ギリシア野外劇場を思い起こさせる。開演前からずっと音響効果で蝉が鳴き続けている。古代ギリシアでも蝉が鳴いていたのだろうか。十字に組み合わせられた石?が十字架にも見えたりする。そのような西洋的イメージと同時に、舞台の上手、下手には橋が配置され、能や狂言の「橋掛かり」のイメージも取り入れられている。さらに実際の囃し方も使われており、まさに和洋折衷そのものである。
     野村萬斎の悪三郎は独り語りの部分も多く、飄々と言葉遊びをも楽しみながら、ある時は喜劇を演じ、またある時は深刻な表情を見せて、人間存在の深淵をも垣間見せる悲劇を演じている。白石加代子も一人で四役を務め、さすがに圧巻の演技を見せている。今井朋彦も三役をこなし、なかなかいい味を出していた。
     台詞回しもある時は現代風に、またある時は狂言そのものの表現が混じっているが、不思議に違和感は感じなかった。演技も古典そのものの時があるかと思うと、ロックのミニコンサート張りの演出もあり、変化に富んでいる。
     本場イギリスでシェイクスピアを学んだ野村萬斎の、狂言だけでは収まりきれない才能が随所に見えて、本当に彼がしたいこと、その未来が期待される舞台だった。衣裳担当がコシノジュンコで、舞台美術ともマッチしていたように思う。
     強いて言うならば最後に「力のために戦う」悪三郎が敗れ、「正義のために戦う」理智門が勝って、「平和万歳!」と締めくくられるのだが、なぜか折角のそれまでの深みが、そこで一挙に厚みを失ってしまうような気がするのは私だけだろうか。(以前に篠田正浩監督の最後の作品「スパイ・ゾルゲ」で、ラストにジョン・レノンの「イマジン」が流されたのを聴いた時に、これと同じような思いをしたことがある。観客の共通認識に訴えるということは必要なのかもしれないが・・・。)

    夏祭りと花火

    • 2007.07.26 Thursday
    • 22:45
     夏祭りの季節である。昨日は天神祭の日だった。私は大阪で生まれたので天神祭はやはり一番親しみがある。しかもその日は父の命日でもある。宵宮の日に大阪へ出ることがあって、すっかり変わった街の佇まいに驚いた。若い頃の大阪のイメージとはかなり違っていて、今は場所によって東京と変わらない雰囲気と、庶民的な大阪の雰囲気との「棲み分け」があるように思われる。昔の船場の「上方情緒」ともいうべきものは、ほとんど見ることが出来なくなってとても寂しい。新暦7月の終わりには住吉祭も行われる。
     各地でも大分の宇佐神宮夏越祭、広島の厳島管弦祭、東北では青森や弘前のねぶた、秋田竿灯祭、山形花笠祭、そして仙台七夕祭と続く。
     同時に花火も盛んである。最近各地で花火がある日には、あちこちで若い人たちの思い思いの浴衣姿を見受けられるようになった。以前に書いた「風水土のしつらい展」に出品していらした木村幸夫氏は、昨年から夏物の着物の依頼が多くなったと言われる。「時代が変わってきて風が吹き出したんだろうか。」とホームページにも書いておられた。私の住んでいる神戸では、着物を普段から来ている人をあまり見かけないが、東京や大阪では若い人がかなり自由に着物を着ている姿を見かけるようになった。アンティークが流行になり、手頃な価格で着物を楽しむことができるというのが一つの遠因になっているのかもしれない。

    私は祖母も母も着物を普段から着ていたので、いつのまにか自分も着るようになっていた上に、ものすごく冷え性で、11月から翌3月まではほとんど着物で過ごす。当然家事も着物でこなすし、外出する時には着物で車の運転もする。それで何の不便も感じたことはない。夏の着物も着てしまえば涼しいものである。着物や帯はもちろん、肌襦袢から足袋まで麻のものを身につけると、身体に纏わりつくことなく、袖からも衿からも風が通る。ただし帯を結ぶ時だけはとにかく暑い。場合によっては汗だくになる。この時ばかりは前以て冷房を強めに入れておかなければどうしようもない。

    着物が「しんどい」と考えている人は、「紐で締め付ける」というイメージがあるようだが、自分で着ることに慣れると、洋服を着るよりもはるかにゆったりと楽に着ることが出来る。夏の着物は「薄物」と言われるように、絽、紗、上布、絹紅梅や綿紅梅など透け感のある涼しげな素材で、変化に富んでいる。最近は着物も洋服のようなイメージで着る人が多いようだが、私は着物には着物にしかない楽しみがあるような気がする。たとえば帯か着物のどちらかに季節を取り入れるというのもその一つである。

     先日、これまで「着物は着ない」と言っていた娘が「浴衣の着方を教えて。」と言い出し、俄かコーチを務めた。浴衣と半幅帯なのですぐに覚えたようだが、秋になったらちゃんとした着物も教えてね、と言っているので母親としては嬉しく思っている。彼女は自分で浴衣を着て、友人と花火を見に行くのが楽しみのようだ。「下駄やバッグは?」と尋ねると、「こっちの方が楽だから。」と革のミュールと、洋服にも使える綿のレース編みの巾着を見せてくれた。それはそれで浴衣とは似合っているようで、今は昔と違ってもっと自由な着方をしてもいいのかもしれない。

    暦の話 水無月

    • 2007.07.14 Saturday
    • 11:55
     台風が列島を駆け抜けている。神戸では明け方から早朝にかけて最も近づくという。雨風の音がだんだん強くなって来ている。  
      夜遅くにふと思い出し、1m以上にも伸びたカサブランカとミスルーシーという名の百合を切って来た。部屋中にその香りが漂っている。
     今日は新暦では7月14日、フランスの革命記念日で、(日本ではなぜか巴里祭と呼ばれている。)我が家では末の息子の誕生日なので、彼が幼い頃はリクエストに従って、毎年「三色アイスクリーム」をデザートに頂いたものだ。
      
     

      いつものように旧暦で言うと、今日から水無月になる。読んで字の如く水の無い月である。(今の現実とはほど遠いが。)そして夏祭りの季節である。各地の祭りを見れば、昔は如何に季節が生活と結びついていたかということがよくわかる。水無月の代表的な祭りは、京都の祇園会、東京の山王祭、大阪の天神祭がある。

      炎天下に咲く花は少ないが、それだけに夏の花は記憶に残る。天を享けて咲く泰山木、向日葵、百合、野牡丹、夾竹桃、沙羅の花(夏椿)。
     
      そして花壇ではダリアも咲き始めている。
      子供の頃、梅雨が明けると毎年、一家総出で建具の入れ替えを行った。家族だけでなく日ごろから出入りしている大工さんや植木屋さんまで、全員が手伝いに来てくれて、丸一日かかって仕事に懸かる。「表の蔵」には道具や衣類などが仕舞われていて、建具や家具などは反対側の庭の隅の「裏の蔵」に収蔵されていた。年に数えるほどしか開かれることの無いその蔵の重い扉が、その日一日は開け放たれる。飛び石伝いに次々と家に運び込まれ、障子戸は御簾に、襖は葦戸に、一つ一つ替えられてゆく。ちょうどこの機会に、畳も一旦取り外して、廊下に立てかけて風を通す。力仕事は男衆(おとこし)さんたちの仕事だったから、私はいつも一仕事終わった部屋を少し後から回って、御簾をくるくると巻き上げて房を掛けて止める役目だった。すべてが終わるのはいつも夕暮れ近くだった。これまでとは全く違う表情になった家の中を、軽々と風が通り抜けて行った。しかしその家はもはやこの世のどこにも無い。

    空海を巡る旅 その2

    • 2007.07.11 Wednesday
    • 22:45
     善通寺を後にして、江戸時代にもう一つの空海の誕生所として異論が巻き起こった海岸寺と仏母院へも足を運ぶ。仏母院では空海の母、玉依に捧げられた不動堂が建てられていて、更にその奥に臍の緒を埋めたといわれる「胞衣(えな)塚」も立っている。


     そこから再び内陸部に向かって10分ほど走って弥谷(いやだに)寺に向かう。本当は一番麓から歩いて登るべきなのだが、時間のないのを口実にして登山口の横に造られた有料道路を使って更に上まで車で上る。駐車場に車を置いて前方に進むと、そこまでの道を端折ったかたちで、108段の階段の下に出る。これまでの運動不足が祟って、一気に登ることが出来ず、一段ずつ数えながら半分の54段目で一時休憩を取る。上り切ったところに大師堂がある。階段を更に上ってお堂に入り、さらに奥へ進むと、「獅子窟」と呼ばれる洞窟の前に出る。そこにも何体かの仏像が祀られている。空海が真魚という名で呼ばれた少年の頃、ここに籠って明星の灯りで学んだという伝承が残っている。



     そこから出釈迦寺に立ち寄り、次に満濃池を見て、その日の行程を終える。

     
      翌日は前日と打って変わって大雨。讃岐府中駅近くの田圃の中にある讃岐国府跡を見た後に香川を後にした。(2007.07.05-06)

    空海を巡る旅 その1 善通寺

    • 2007.07.06 Friday
    • 20:58
      長年の懸案である「空海を巡る旅」を開始することにした。本当は空海の誕生日である6月15日から、と思っていたのだが、ちょうどその頃は「青葉祭」で御誕生会が開かれていて、ものすごい人だろうなと思っただけで出かける気が無くなってしまった。善通寺のホームページを開くと、その後の土、日も「弘法市」が開かれるようで、遅れに遅れて昨日から1泊2日で讃岐を訪れた。電車で行こうか、車で行こうかと随分迷ったのだが、結局車で行くことにして、淡路から鳴門を経て、高松道に入り、善通寺へ。

     駐車場から済世橋を渡って西院(誕生院)の中へ入ろうとすると、川の畔に五位鷺を発見。あたりには紫陽花も満開で周囲の山の景色と共になぜかほっとする。パゴダ供養等、遍照閣、聖霊殿、地蔵堂、護摩堂、親鸞堂、などを通り過ぎ、御影堂へ。

     「戒壇めぐり」をした後に、宝物館へ行く途中に産湯堂というのがあり、空海が生まれた時の産湯に使われたという井戸があった。

     仁王門、中門を潜って東院に入ると左手に金堂、右手に五重塔が立っている。門のすぐ傍の小さなお堂は「佐伯祖廟」と表示されている。ここは空海の父、佐伯善通の屋敷跡なのだ。

     大楠が此処彼処に何本も立っている。まさに「樟の覆う」処なのである。(2007.07.05)

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