夏祭りの季節である。昨日は天神祭の日だった。私は大阪で生まれたので天神祭はやはり一番親しみがある。しかもその日は父の命日でもある。宵宮の日に大阪へ出ることがあって、すっかり変わった街の佇まいに驚いた。若い頃の大阪のイメージとはかなり違っていて、今は場所によって東京と変わらない雰囲気と、庶民的な大阪の雰囲気との「棲み分け」があるように思われる。昔の船場の「上方情緒」ともいうべきものは、ほとんど見ることが出来なくなってとても寂しい。新暦7月の終わりには住吉祭も行われる。
各地でも大分の宇佐神宮夏越祭、広島の厳島管弦祭、東北では青森や弘前のねぶた、秋田竿灯祭、山形花笠祭、そして仙台七夕祭と続く。
同時に花火も盛んである。
最近各地で花火がある日には、あちこちで若い人たちの思い思いの浴衣姿を見受けられるようになった。以前に書いた「風水土のしつらい展」に出品していらした木村幸夫氏は、昨年から夏物の着物の依頼が多くなったと言われる。「時代が変わってきて風が吹き出したんだろうか。」とホームページにも書いておられた。私の住んでいる神戸では、着物を普段から来ている人をあまり見かけないが、東京や大阪では若い人がかなり自由に着物を着ている姿を見かけるようになった。アンティークが流行になり、手頃な価格で着物を楽しむことができるというのが一つの遠因になっているのかもしれない。
私は祖母も母も着物を普段から着ていたので、いつのまにか自分も着るようになっていた上に、ものすごく冷え性で、11月から翌3月まではほとんど着物で過ごす。
当然家事も着物でこなすし、外出する時には着物で車の運転もする。それで何の不便も感じたことはない。夏の着物も着てしまえば涼しいものである。着物や帯はもちろん、肌襦袢から足袋まで麻のものを身につけると、身体に纏わりつくことなく、袖からも衿からも風が通る。ただし帯を結ぶ時だけはとにかく暑い。場合によっては汗だくになる。この時ばかりは前以て冷房を強めに入れておかなければどうしようもない。
着物が「しんどい」と考えている人は、「紐で締め付ける」というイメージがあるようだが、自分で着ることに慣れると、洋服を着るよりもはるかにゆったりと楽に着ることが出来る。夏の着物は「薄物」と言われるように、絽、紗、上布、絹紅梅や綿紅梅など透け感のある涼しげな素材で、変化に富んでいる。最近は着物も洋服のようなイメージで着る人が多いようだが、私は着物には着物にしかない楽しみがあるような気がする。たとえば帯か着物のどちらかに季節を取り入れるというのもその一つである。
先日、これまで「着物は着ない」と言っていた娘が「浴衣の着方を教えて。」と言い出し、俄かコーチを務めた。浴衣と半幅帯なのですぐに覚えたようだが、秋になったらちゃんとした着物も教えてね、と言っているので母親としては嬉しく思っている。彼女は自分で浴衣を着て、友人と花火を見に行くのが楽しみのようだ。
「下駄やバッグは?」と尋ねると、「こっちの方が楽だから。」と革のミュールと、洋服にも使える綿のレース編みの巾着を見せてくれた。それはそれで浴衣とは似合っているようで、今は昔と違ってもっと自由な着方をしてもいいのかもしれない。