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    Birthday Week

    • 2007.10.31 Wednesday
    • 00:38
      秋も深まったというのに、いつまで経っても夏の名残りが居座っていて、ペチュニアや朝顔まで未だに咲き続けている。それでも秋は確実に深まっていて、秋明菊も咲き始めた。
      先週はBirthday Weekだったせいで??、何故か忙しかった。免許証の更新の葉書が一か月前から来ていたのに、なかなか重い腰が上がらず、明石に行くのなら「木喰展」を観に行こうと思いつつも、ずっとそのままになっていた。誕生日を一日過ぎてもう一度葉書を見直すと、明石ではなく下山手でも申請出来るということが判り、ようやく出かけることにした。
      兵庫県警本部まで辿り着き、門の前で警備をしている人に訊ねて新しいビルの6階にエレベーターで上る。今年1月に建ち上がったばかりだという「神戸優良・高齢運転者更新センター」。建物もきれいだし、何よりも嬉しいことは来訪者も少なく、待ち時間なしに手続きが出来るということだ。
      前回は実家の義母が亡くなった後、誰も居なくなった家を片付けに通っていて、家の前に車を停めていて駐車違反の切符を貼られてしまった。遠く離れた見知らぬ町の警察署に行くのも大変だったが、何年も経って忘れた頃に、たった一回のこの違反の為にせっかくそれまで持っていたGOLDの免許証を取れず、講習も長くてとても残念な思いをした。今回とても気分よく過ごせたので、次の更新の時もできればここに来られるように違反をしないようにしなければ、などと考えてしまった。
      子供たちとその友人たちが皆でお祝いをしてくれて、久しぶりにインド料理を食べに行ったり、家で集まって鉄板焼きを楽しんだり、更には30年来の友人がフランス料理のレストランに招待してくれたりして、有難くも忙しい日々だった。
     

       そんな中、新しく創刊した詩誌「惟(ゆい)」が印刷所から届いた。思っていたよりもすっきりした仕上がりでとても嬉しい。ここから果たしてどこまで行けるかわからないが、ゆっくりと地道に歩き続けたいと思っている。「貝の火」を休刊、そして終刊して思ったことだが、やはり詩誌を作り出す過程は、私にとって自分の居場所を確認する得難い時空であるような気がする。

    鈴虫寺

    • 2007.10.16 Tuesday
    • 23:42
      昨年の初め、少し体調を崩し入院したことがあって、娘が鈴虫寺でお守りを戴いて来てくれた。願いが叶った時はそのお守りを返しに行ってお礼のお参りをするということになっているので、娘に誘われて二人で嵐山の手前の松尾まで出かけた。
      急な石段を登り、受付の前で受付料を払うと、その前にお守りを返却する箱が置かれている。ただ返すだけならそのまま帰ってもいいのだが、折角だからお話も聴いて行こうということになって、そのまま中へ入る。娘の話によると前回お守りを戴きに来たのはお正月だったので、物凄い人数で、石段の下から川筋までずっと大勢の人が並んでいたのだそうである。
          部屋の中に二百人が入れるように座布団が敷いてあり、前の机には茶菓子も用意されている。お話をされるご住職が立たれる台の下には幾つものガラスケースがしつらえられていて、中には夥しい鈴虫が飼われている。(鈴虫は茄子を食べるのだと改めて知ったのだが。)お話を聞いている間中、虫の音が聞こえる。
      鈴虫寺というのは通称で、妙徳山華厳寺(みょうとくざんけごんじ)というのが本当の名で、享保8年(1723)華厳寺再興のため、鳳譚上人(ほうたんしょうにん)が開かれ、現在は臨済宗の禅寺だという。

      お守りの中には「幸福地蔵」の写真が入っていて、自分の住所と願い事を言うと、そのお地蔵さんがわらじを履いて、その住所まで出向いてきて下さり、願い事を聞いて下さるのだという。「転居した時には必ずこのお寺の方角を向いて住所変更届をしないと、お願いは聞いて頂けない」そうである。また余りにも一足飛びなもの、抽象的なお願いも駄目で、段階的に可能なお願いをしなければいけないという。
     「縁結び」で有名なお寺なのだが、「片思い」は聞き届けられないそうで、お互いに顔見知りでなけらばならないのだという。相手がいない人は、まず「自分にふさわしい人を。」というお願いから始まって、「お付き合いできるように。」と続き、最後に「結婚できますように。」と順を踏んで、その度に新たなお守りが必要なのだという。
         入場料より安い(お守りの代金は必ずそうしなければならないと決められているそうだ。)とはいえ、薄利多売の法則に当てはまるのかも??
      それにしてもお守りを戴きに来る人の多さにびっくり! それも若い人たちが多い。最近の日本人は信仰がないと言われているが、こういう即物的な信仰心はどんどん増えて行っているのかもしれない。

    暦の話 長月

    • 2007.10.11 Thursday
    • 23:47
     今日は長月朔で、更衣の日である。年の半分ほどを着物を着て過ごすようになってはじめて、やはり新暦よりは旧暦の方が季節を過ごすためにはふさわしいとつくづく思うようになった。特に昨今のような気候では、新暦の10月1日に袷の着物を着るなんて、無理な話である。一昨日(新暦10月9日)は寒露で、さすがに夜になると秋の季節を感じられるようになった。夜も更けるとカーディガンが一枚欲しくなるほどであった。私も昨日、今日と2日かけて衣類の入れ替えをした。
      我が家の庭も未だにダリアやホテイアオイが咲いているとはいえ、着実に秋に向かっている。紫苑は丈高く伸び、すでに満開である。


      いつのまにか戸外に出ただけで辺りにたち込める金木犀の香り。紫苑のすぐ後ろに植えている金木犀の花が溢れこぼれるまでに咲いていた。すぐそばで見るとオレンジの小さな十字の花は、驚くほどに厚い花弁で蝋細工のようにも見える。花壇の中の秋明菊の蕾もかなり膨らんできている。

    第5回 山村若の会

    • 2007.10.02 Tuesday
    • 23:54
      大阪日本橋の国立文楽劇場で行われた「第5回 山村若の会」を観に行った。
     山村流の六世宗家山村若の舞による地歌『融(とおる)』と義太夫『仕丁(じちょう)』が、本年度の文化庁芸術祭参加作品となっている。二曲の間に宗家の二人の子息,山村侑と侃による地歌『石橋(しゃっきょう)』と、宗家の妹である山村光による上方唄『十二月(じゅうにつき)』が入る。
     地歌『融』は能「融」から採られている。嵯峨天皇の皇子として生まれながら源姓を賜って臣籍に下った源融(みなもとのとおる)(822〜895)は、光源氏のモデルの一人とされている。
     今回、山村若は「劇場から座敷へと移行していった山村流の特質を踏まえ、座敷舞に仕立て」て舞っている。それゆえに衣装を着けずに素踊で、紫の濃淡の着物と袴が清々しく、かつ幽玄な雰囲気が漂っている。金の扇が宗家の手にかかると、まるで扇自身が生きているかのごとく、自在に宙に舞い、また手に戻ってくる。何年か前に梅田芸術劇場での公演の時も、宗家の扇使いに感嘆し、魔法のようだと思ったことがあったが、今回はそのとき以上に自信と余裕が溢れていたように思った。
     
      実は私は宗家に上方舞を教わっていて、弟子とも言えない不肖の弟子なのだが、以前この扇捌きのことをほんの少し伺ったことがある。「よくあんなことができますね。本当に魔法みたい。」などという失礼な質問をしたにもかかわらず、宗家は気さくに笑って答えて下さった。「扇の要は必ずまっすぐ下へ落ちてくるものだ。だから真っ直ぐ上に上げて、その真下で受けると必ず手に戻って来る。たとえ暗闇の中でも受け止めることが出来る。」その言葉は長年の鍛錬と修業の証しのように響いて来る。
     二人の子息の『石橋』」は初々しく、また頼もしい。何もない舞台に何双かの大きさの違う白い屏風が重ねられ、象徴的な手法が感じられた。山村光の『十二月』はしなやかで美しく、この人の持つ天性の技倆と才能が輝いていた。

      最後の演し物である義太夫 『仕丁』は、「天保6年、山村流の流祖・友五郎による振付の『同計略花芳野山(とばかりはなのよしのやま)』に後に入れ事として増補された劇中舞踊(景事)」である。「「仕丁」とは、別名「衛士(えじ)」といい、宮中の護衛や雑用に携わっていた者のことで、雛人形の十五人揃えの三上戸(泣き・笑い・怒り)の愛嬌ある姿は、幕末から明治にかけて庶民に雛人形が広まると共に、さかんに舞踊化された」という。
          

      山村若はもはや舞踊家というより歌舞伎役者と言ってもいいような味わいと軽妙さで、この「仕丁」の所作を演じていた。

      観る度にさらに大きく深く芸を究めてゆく山村若と、流派を継ぐ若い人たちの上方舞をこれからも注目してゆきたい。また表に出ることなく黙々と支えておられる宗家夫人に心から敬意を表したいと思う。
     

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    ☆〔五大ごだい〕地・水・火・風・空の五つをいう。一切の物質に偏在して、それを構成するもととみて大という。 ☆〔六大ろくだい〕仏教用語で、万物を構成する六つの要素。地・水・火・風・空・識。六界。密教では法身大日如来の象徴とする。 ☆〔識しき〕仏教用語で、対象を識別する心のはたらき。感覚器官を媒介として対象を認識する。六識・八識などに分ける。 ☆〔法身ほっしん〕仏教用語で、永遠なる宇宙の理法そのものとしてとらえられた仏のあり方。

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