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    詩人とアーティストのクリスマスミニアート展

    • 2007.11.29 Thursday
    • 00:14
    JUGEMテーマ:アート・デザイン


      詩人の横山克衛さんにお誘いを受けて、「詩人とアーティストのクリスマスミニアート展」に出品することになった。案内の葉書をUPしてそのまま読んで頂こうと思ったが、読める位に大きくすると、このblogには掲載できない。仕方がないのでもう一度詳細を記載することにする。(下記の通りです。お時間がおありの方は御覧下さい。)
      
      collaboration ☆★ 松尾真由美 + 森 美千代 + 河田雅文
      art works ☆★ 枝川里恵 ★ 会場公一 ★ 斉藤恵子 ★ 紫野京子
                 渡辺めぐみ ★ 横山麻沙 ★ 横山克衛(代表)



      2007年12月10日(月)〜12月15日(土)
        AM11:00〜PM7:00(最終日PM5:00まで)
      ギャルリー志門
       〒104-0061 東京都中央区銀座6−13−7 新保ビル3F
       TEL:03−3541−2511
       FAX:03−3541−2512
       E-mail: g-simon@bu.iij4u.or.jp
    URL: http//g-simon.com/

     私が初めて義理の母の叔父であった藤井二郎画伯に絵を習いに行ったのは、もう40年も昔のことである。他のお稽古は何かと理由をつけて、よくサボったものだったが、油絵だけは雨の日も風の日も、暑さにも寒さにもめげずに、休まずアトリエに通い続けた。藤井二郎師は最初から、デッサンではなく油彩を用いて教えて下さった。今はどこに行ったかわからない私の最初の油彩画は、寝惚けたような濁った色調のピンクの薔薇の絵だった。3年程して二科展に初めて出品し、7回連続出品したが、3人目の子供が生まれ、仕事もしなければならなくなって、一時中断した。
      その後、12年経って今度は二科会ではなく、春陽会の研究会に入会し、100号の油彩画を書き続けたが、阪神淡路大震災を機に、全く絵を描くことが出来なくなった。
     
      この展覧会へのお誘いを受けた時、ちょうど良いリハビリの機会だと思って、久しぶりに絵筆を持った。とは言っても今回もまた12年のブランクがある。何よりも困ったことは、準備をしていざ描こうと絵の具のチューブを回すのだが、どんなに力を入れても開かなくなっていることだった。ルソルバン(画溶液)も粘りが強くなっていて、使い物にならない。結局チューブは皆お湯につけてやっと蓋を回せるようになった。画溶液の方はペトロールとポピーオイルを混ぜて使うことにした。
      二科展に出品していた頃は風景画を描いていたが、春陽会の研究会に行くようになってからは、抽象画を試み、悪戦苦闘をしていた。今回はあまり難しく考えるのはやめて、春夏秋冬と四季の画を一枚ずつ、F0のキャンバスに油彩で描くことにした。とはいえ、未だに完成していないので、もしかすると4枚揃わないかもしれない。
      100号の大きさの絵を描いていた時は、丸一日他のことは何も考えず一心不乱に描いていたので、それなりに発散する部分があって充足感があったが、逆に体力を使い果たして、その日の作業を終えるとソファにぐったり倒れ込んだりしていた。
      今は0号の小さな絵を描いていると、余力を残しながら本当に楽しむことが出来るので、これからの歳月にはこの遣りかたの方が相応しいような気がしている。
      私の絵のサイクルはどうも12年ごとに訪れるようなので、せめて今から12年は中断することなく続けたいと思っている。


    山の手帳

    • 2007.11.26 Monday
    • 18:31
    JUGEMテーマ:アート・デザイン


      三宮でギャラリータピエスという画廊を経営していらっしゃる塚田清さんが、長年の登山歴の中で撮りためた山の写真の展覧会を開催中である。私は先週の木曜日(22日)に訪れた。ご案内を頂く前に絵葉書と写真集を同時に出版されて送ってきて下さったのだが、雪に包まれていたり、花が咲き乱れていたり、あるいは雲海の中に聳えていたり、さまざまな山の表情が写されている。(塚田清写真展「山の手帳」11月30日まで。神戸市中央区琴の緒町4−7−7 アートギャラリータピエス TEL.078−252−1808)

      ちょうど詩誌「惟」に空海を巡る旅の連載を書いていて、山の専門家に伺ってみようと思い、四国の石鎚山のことを聞いてみた。ただ何となくどんな山かを聞いたつもりだったのだが、話しているうちに雲行きが怪しくなってきて、「絶対に登らないと!」と発破をかけられる始末になった。「無理ですよ。登れないと思います。」と言っても、塚田さんには通じない。「まず近所の低い山から始めなさい。最初から頂上まで登らなくてもいいから、行けるところまで行って、今日はこれ以上は無理と思ったら、引き返せばいい。ただ毎日続けることですね。」そう忠告されたものの、まだ決心がつかず、山歩きの第一歩を踏み出せないでいる。

       その代りという訳ではないが、ネットで石鎚山と須磨アルプスを調べてみた。石鎚山は四季折々の風景や、生き物の写真が美しく、心惹かれるものがある。本当に気候がいい時に時間をかけてゆっくり歩くのなら行けるかもしれないという気持ちと、無理無理!という声とが交互に私の中で現れたり消えたりしている。私の住んでいる家のすぐ裏山に登ると、そこから須磨アルプスへの道へ出られるので、そこから始めようかと考えたりしているこの頃である。でも年末年始にかけてはスケジュールが詰まっていて、いずれにせよ来年の話なのだから、鬼が笑うかもしれない。(写真はすべて塚田清「山の手帳」より)

    猫の話

    • 2007.11.20 Tuesday
    • 00:57
     いつまでも夏が終わらないと思っていたら、突然木枯らしの季節がやってきてしまった。この間書いた「外猫」さんはすっかり我が家の庭に棲みついてしまい、この寒さの中でほとんどダンボールの中に籠っている。日中、陽が当たる時は箱から出て来て日向ぼっこをするが、これまでのように塀の隅ではなく、庭の石の上で毛づくろいをするようになった。クマ(我が家の飼い犬)が時たま思い出したように追い払おうとすると、その時だけ葉蘭の陰に隠れている。2週間ほど前に草抜きをして、庭の中央に積み上げていたが、その干草の山の上で寝るとフワフワとして気持ちがいいらしく、2匹で獲り合いをしたりしている。
     2匹の話だけだと片手落ちなので、今日は「内猫」の話をしようと思う。今から7年ほど前の節分の日に、子供の友人(正式にはそのまた友達)が電車で30分位離れた街を歩いている時に、道に棄てられている(人間が捨てたのか、親猫が捨てたのかはわからない)仔猫を見つけた。最初は彼女が育てるつもりだったようで、仕事に出かける時に我が家に預けに来て、また夕方引き取りにくる、ということをしばらくの間、繰り返していた。その頃は我が家には虎猫が一匹いて、(この子も少し離れたガレージにピンクの籠に入れて捨てられていたのだが、ある土砂降りの日にとても歩けないような小ささで、果敢に私について来て離れなかったのだ。)当初は来るたびに怖い顔で「フーッ」をくりかえしていたが、彼女が出張で仔猫が初めて「お泊まり」した日からその小さな仔を受け容れるようになった。

      彼女はますます忙しくなり、私の子供も遠くの大学に在学していて不在だったので、結局私がこの仔猫の世話をしなければならなくなった。獣医さんに聞くと、誕生後未だ1週間も経っていないとのことで、2時間毎に哺乳瓶でミルクを与え、下の世話をし、ほとんど人間の嬰児状態であった。そうこうしているうちに、驚いたことに虎猫の方が気風のいいところを見せて、子守りを買って出てくれた。虎猫の名前がミルッヒ(ドイツ語でミルク)、呼び名はミルだったので、仔猫の方はココ(ココアの略)と呼ぶことにした。

       ココは驚くほどミルクを飲み、よく眠り、またミルクを飲み、
    さらに無防備に眠り続け、順調に育って行った。

    身づくろいもするようになり、驚いたことにクマがガラス戸に近づいたりすると、誰も教えないのに精一杯身体を膨らませて、「フーッ」と言っているではないか。まるでギズモのようだった。一人でしっかり歩けるようになってからは、私がどこに行っても後ろをついて歩いて、姿が見えなくなるとずっと悲しげな声で呼び続けた。

     ココが来て1年後、私の弟が病に斃れた時も、そばに寝ている「やわらかな生きもの」にどれだけ救われたことか。死は硬直であり、「生きている」ということは柔らかいということなのだと、つくづく思い知ったのだった。
     

    暦の話 神無月

    • 2007.11.11 Sunday
    • 15:57
     昨日、新暦の11月10日は旧暦の神無月朔にあたる。以前にも少し述べたが、旧暦ではまず「冬至」と「夏至」、「春分」と「秋分」の二至二分を割り出し、その中間点が「立春、立夏、立秋、立冬」で四季の始まりとなっている。さらにそれぞれを三等分した「二十四節気」、その一節気を約五日毎に三等分したのが「七十二候」で、これが「気候」の語源となっている。最近で言えば九月十九日(新暦10月29日)は「小雨 時々降る(秋時雨)」、二十四日(11月3日)は「楓や蔦 黄ばむ」、二十九日(11月8日)は「山茶花 咲く」と書かれている。
     神無月は八百万(やおよろず)の神々が、この月に出雲大社に集まり、その他の国にいないゆえに、この名前が付けられたと考えられてきた。したがって逆に出雲国では旧暦十月を「神在月」と呼ばれたという。
      さて我が家の庭では昨年秋から冬にかけて咲いていたガーデンシクラメンが、年を越して再び咲き始めた。これまで室内の鉢植えしか育てたことがなかったが、このガーデンシクラメンはそれよりもかなり小さくひ弱に見えて、真冬の寒さにも真夏の日差しにも負けることなく、次々と咲き出し、その元気さに励まされている。

      もう一鉢洋蘭なのだが、3年位前に小さな鉢を買って花を楽しんだ後、春暖かくなると庭に出して、また晩秋の肌寒くなる頃に室内に入れる繰返しを続けていたら、だんだん株が大きくなり、その度に一回り大きな鉢に変えていた。今年の夏に驚くほどたくさん花をつけて、今頃またほんの少し花を咲かせている。肝心の名前は忘れてしまった。

      花ではないのだが、1、2か月前から猫が一匹、いつのまにか庭に棲みついている。最初は我が家の飼い犬(クマ)とバトルを繰り返していたのだが、辛抱強く待っていて、食べ残したドッグフードを食べ続けている様子で、そのうちお手上げの状態であきらめてしまったようだ。室内にも飼い猫(ココ)がいるのだが、犬猫二匹とも元はと言えば捨てられていたのを子供の友人が拾ってきたので、本来の立場としてはそう変わりはない。ココはあまり外へ出さないで育てているのだが、ある日偶々玄関の扉が開いていた時にいつのまにか外へ出て、喧嘩もせずに外の猫と並んで座っていた。1m以内に近づくとさすがに「フーッ」と言って逃げるのだが、その挙動は野良猫という感じはしないので、どこかで飼われていて、飼い主が居なくなったのかもしれない。。

    とうとう根負けして、クマ諸共、居住を認めることにした。さすがに家の中では飼えないので、いつも隠れている葉蘭の茂みの中へ、ビニールでカバーをした段ボール箱を置き、クマに餌をやる時に同時に少しおすそわけをすることにした。
      昼間は花壇の隅に座っていたり、塀の上で日向ぼっこをしていたり、あるいは木の上に登っていたりしているのだが、様子を見ていると日が暮れて気温が下がってくると、設えてある段ボールの中へ入っているようだ。最近は水やりに出ても、私の姿を見ると、塀の上からでも木の上からでも、ミャーミャーと鳴くようになってしまった。ある朝などは庭に出てもどこにもいないので、居なくなったのかなと思って箱の傍まで行ってみると、中から尻尾だけを出して、熟睡していた。
      

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