広島市現代美術館で開催されている石内都写真展「ひろしま Strings of Time」を見に行った。私の愛蔵している本の群れの中の1冊に、1993年に発行された石内都の『モノクローム』がある。1977年の「絶唱・横須賀ストーリー」から始まって、1991年の「MEN」までのすべてモノクロームの写真ばかりと、彼女自身のエッセイからなるこの書を手にして以来、私はすっかり石内都という写真家のファンになった。まるで哲学書かと思われるほど、この書には心の奥底に届く多くの言葉が散りばめられている。
7月半ば、友人と一緒に大阪の国立国際美術館にモディリアーニ展を見に行き、そこで偶々併設展示されている石内都の「キズアト」の写真を見ることが出来た。そして「ひろしま」の写真展のことを知った。
新幹線ののぞみに乗ると広島は思ったよりもとても近かった。広島市現代美術館のある比治山からは眼下に広島の街を望むことができる。
展覧会は三つに分かれていて、まず石内都の「ひろしま」展、「Dome」展、ドーム:そのモニュメントをめぐるアーティストの試みと副題が付けられている。そしてもう一つは「ヒロシマ モナムール」、広島現代美術館のコレクション展である。
広島市現代美術館 http://www.hcmca.cf.city.hiroshima.jp/web/index.html
(リンクの欄にも書いています。)
「ひろしま Strings of Time」は広島平和記念資料館に保存されている1万9千点の資料=「モノ」の中から石内が選んで写真に写したものである。パンフレットには彼女の言葉が書かれているが、その短い文には「夏の装い」というタイトルが付けられている。
この展示ではほとんどがカラープリントである。彼女自身も言っているように、鮮やかな「夏の装い」を目の辺りにして、思わず「息をのむ。」何という美しさだろう。これらの愛らしく繊細なワンピースやブラウス、スーツなどが、未だ戦争が終わっていない、しかも終戦間近の朝に身に付けられていたということにも、意外さと不思議さを覚える。戦時下の緊急時にもなお、日々の生活をいとおしむ女性たち。少女を慈しむ母たちの心や視線さえもこの「モノ」たちは見るものに語りかける。
肩の辺りが千切れてしまったジョーゼットの半袖ワンピースの布の襞や皺のひとつひとつに、作者の視線を感じる。赤いチェックのパフスリーブのワンピースは、斜め半分が黒く焼けている。青空色の地色に白と赤の丸紋のなかに黒の木版で描かれた一輪ずつの小さな花。シャツカラーの襟元には真っ赤な丸い玉の小さなボタンが輝いている。朝起きてこの服に手を通す時に、どんなに楽しく今日の一日を思ったことだろう。そしてやはりジョーゼットの水玉のワンピース。一瞬、風を受けてひらひらと裾を翻しながら歩いて行く女性の白い手、足、たおやかな項を見たように思った。
胸に迫って来るのは悲惨さよりも愛しさである。同時に手作りのあたたかさである。 この服を着ていた生身のひとたちのいのち。輝かしい日々。そして一瞬にして消えたそのいのちの歓びの光。
これらの物言わぬ「モノ」たちを目前にして、今更ながら言葉の無力さを思った。