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- 2016.05.18 Wednesday
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四年前に亡くなった主人の叔母の遺品の整理をようやく終了した。30代の頃にご主人に死別し、ずっと独り暮らしをしていたのだが、阪神大震災の後、壊れかけた家は漏電の恐れがあるので、関西電力から「建て替えない限り、もう電気を供給できない」と宣言された。いろいろ話し合って、住んでいた家を処分して、やはり地震で全壊した主人の実家の跡地(我が家の隣り)に小さな家を建てて引っ越すことになった。85歳の時である。
それまでは身の回りのことをすべて独りでこなしていたのだが、新しい家にはなかなか慣れず、私の実家の義母が入院・手術することになって、介護ヘルパーさんを頼むことになった。そのせいか、叔母はますます何もしなくなり、やがてどこにも行かず、テレビを見たままじっと座っているばかりになったので、病気でもないのに床擦れを起こすようになった。
地震から7年ほど経って、ようやく我が家の修理をすることになり、騒音などで落ち着かないだろうと思って、叔母に頼み込んでショートステイのホームに入って貰うことにした。そこに入ってしばらくすると、意外なことに家にいる時よりも見違えるほど元気になった。
工事が終わっていったん家に帰って来たのだが、独りになるとまた鬱状態になるような感じで、どうしたものかと考えていると、その翌年、短期で入っていたホームと同じ経営で長期の有料老人ホームが新たにできるということを知った。しかもショートステイの時にお世話になったチーフの方が、施設長になられるというので、出来上がるのと同時に入れて頂くことにした。
顔馴染みの方ばかりで、しかも一番先に入ったということで、叔母はどうやらそこではすっかり先輩格になったようだ。いつ訪れても元気ではりきって過ごしているのでほっとしたものだ。
2005年の夏前から医師から「老衰がかなり進んでいる。」という話があり、その年の7月に叔母は肺炎で亡くなった。94歳だった。
生前から「人に貰ってもらうのなら幾らでも差し上げていいけど、捨てるのだけは嫌だ。」と言っていたので、後片付けをどうしたものかと随分迷った。
叔母はホームに入るまで洋服を着たことがなく、ずっと着物で過ごしていたので、最初の1年は着物を片付けるのが精一杯だった。埃(ほこり)で気管支炎になって耳鼻科のお医者さんに「蚕に噛まれたようなものだ。」と言われる始末。
趣味も多い人だったので、茶道、華道、謡曲、書道、人形、挙句は盆栽まで、それぞれに様々な道具が遺されていた。偶々整理していて出てきた文箱の中から、古民芸を扱っている人の名刺が出て来たので、連絡してみたら何でも引き取ってくれるという。部屋一杯の荷物が跡形もなく出て行って、ようやく肩の荷を下したような気がしている。
私も記念の品を頂くことにした。先に整理した着物の中からは、紫の鹿の子絞りの羽織を頂き、名古屋帯に仕立て直して、ずっと重宝している。
今回は直径4cmほどの盆栽のための植木鉢を二つ、手元に残すことにした。いずれも藍の染付のものである。(上の二つの写真) 春になったら、蓮華升麻(れんげしょうま)やタツタソウなどの、小さな山野草を植えてみようと思っている。