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    「覚悟」

    • 2011.10.20 Thursday
    • 23:56
    JUGEMテーマ:
    「嶺」35号に新しく発表した詩です。

    覚悟


    一日が終わり
    二度と戻らぬ日が
    沈黙のかなたへと去ってゆく

    時だけではない
    私は消え去るものとして
    ここに在る

    無念のおもいを抱いて逝った
    幾人ものひとたち
    彼らは 生きている私たちに向って
    生きろ と叫んでいる

    何の条件も 目的もなしに
    それでも 生きていることが
    輝きに満ちているのだということを

    過ぎ去った時よ
    そのなかに幾多の今が潜んでいたことを
    私たちは瞬時には理解することができない

    没薬のように
    苦い悔恨だけが
    辞書の役目を果たす

    輝ける日々よ
    その同じ時限で
    私たちの生が 輝かんことを

    そのための覚悟が
    私たちには要る

    庭の楽しみ

    • 2011.10.12 Wednesday
    • 21:39
    JUGEMテーマ:日記・一般
    torinosu.jpg 夕方水撒きの時に思いがけないものを見つけました。姫木蓮の幹のあいだに小鳥の巣をみつけたのです。食堂から庭に出るサッシのすぐ前の木で、こんなに近くに鳥の巣があるなんて、とびっくりしました。
     そういえば春から夏にかけて、例年より鳥の声が姦しかったような…。でも今は蛻の殻で、どんな鳥の巣だったのかも判りません。
     昔、六甲山の麓に住んでいた頃、マンションの小さな庭にヒヨドリが巣をかけて、小鳥たちが巣立ちをするまで、子供たちと毎日欠かさず眺めていたものでした。一羽ずつ飛び立ってゆく時は、気付かれないように声を潜めて「頑張れ!」と皆で呟いていました。今回はそんな機会を逸してしまいました。
    miyaginohagi.jpg   庭の秋は少しずつ深まっていて、宮城野萩も。満開です。この花は珍しく白と赤の花が同時に咲くのです。石の上にこぼれた風情もいいものです。
    color.jpg それでもまだ夏の名残りもあって、花壇ではカラーの花が咲き続けています。
    真夏に見る花と違って、白い肌の陰りが濃くなっているようにも思います。


    新しい日本の歌・4

    • 2011.10.10 Monday
    • 18:06
    JUGEMテーマ:音楽P1050049.JPG
       今年もひょうご日本歌曲の会の「新しい日本の歌・4」のコンサートが開かれます。今年は中西覚先生が私の詩2篇に作曲して下さいました。ご興味のある方は是非お越し下さい。

    「松風」―中所宜夫の演能の作法

    • 2011.10.08 Saturday
    • 01:22
    JUGEMテーマ:芸能
     P1010134.JPG                                                                    10月1日(土)午後1時から名古屋能楽堂で行われた名古屋観世九皐会による能楽公演を観に行った。番組は能「田村」、舞囃子「阿漕」、狂言「薩摩守」、仕舞「道明寺」「井筒」「龍虎」、そして能「松風」、最後に祝言というものであった。もちろん一番の目的は中所宣夫の演ずる「松風」を見ることである。
     開演までの15分ほどの間、中所宣夫の言によると「あれほど良く出来た強力な空間装置はなかなかありません。」という能舞台をつくづく眺める。確かにこれほど簡素で均衡が取れていて、これほど充実した舞台が他にあるだろうか。

      ここでは他の演し物はさておき、中所宣夫演じる「松風」について述べたいと思う。まず演能に先立ち、舞台の真中に松と汐汲車が運ばれてくる。見所はその時からもう期待の心を持たざるを得ない。能舞台の松はまさに須磨の海辺の松である。実際に須磨の離宮道にある「松風村雨堂」の前には、ちょうどこの舞台の一の松、二の松、三の松のように、同じ位の丈の松が並んでいる。そこから見れば、今は遥か彼方に海が光って見えるが、往時はその辺りが海辺であったであろうと思われる。

       ワキの旅僧が海辺の松を見つけ、浦人から松風、村雨という姉妹の旧跡だと聞き、二人を弔っていると日が暮れてしまう。その松林のなかを二人の海人乙女(姉妹)が歩いて来る。白い透き通った「水衣(みずごろも)」と呼ばれる美しい衣を身に纏っている。二人はかつて都から流されていた在原行平と共に暮らしていたのだった。月光のなかで姉妹は汐汲みをする。それぞれの桶に月が映る。「空の月は行平、桶に映った月は私たち。行平が帰って来たのだ。共に帰ろう。」と二人は汐汲車を曳いて小屋へ帰る。旅僧は一夜の宿を求め、二人が松風、村雨の霊だと知る。

      行平と共に暮らした思い出を忘れられず、未だに中空をさまよっている二人。形見の烏帽子と狩衣を取り出し、見入っている間に姉の松風は恋しさが募ってゆく。このシテの松風を演じているのが中所宣夫なのだが、最初に登場した時にはほとんど村雨と区別がつかなかった。しかしこのあたりから驚くほど変わってゆく。
      松風は行平の烏帽子と狩衣を手渡され、そのまま舞台中央まで来てしばらく松を見つめていて、思い余った風情で行平の形見の衣をほんの一瞬抱き直し、かき抱いたのだった。それまで長い「次第」のなかに閉じ込められていた空気が、その一瞬で変容した。松を見つめたその時に、中所は松風になり、松は行平に変じたのであろう。ここにはいる筈もない恋しい人を思う松風ができることは、行平を求めて虚空を抱くことしか出来なかったのであろう。

      能「松風」は中入がなく一場なのだが、この後、松風が行平の衣を着けてからは後シテに変じて行くと言っても過言ではない。衣を着けただけではなく、驚いたことにこれまで表情がなかった面が、松風が舞ううちに、面ではなく一人の女の表情に変わっていった。ある時は艶やかに、ある時は泣いているかのように。そして眼を閉じれば松林を渡る風の音と、潮騒までもが聞えるようだった。
        「あの松こそは行平よ、たとひ暫しは別かるるともまつとし聞かば帰り来んと」
      松風は行平の言葉を胸底にしまい、命の果てまでも待ち続けたのである。

      この切実なおもいを中所はいかに表現し得たのであろうか。偏に依代として松風の霊が舞台上で下りてくるのを待つ以外になかったのであろうか。公演が終わったのち、中所は体調が万全ではなかったと口にした。それでも見所の評判は最上のものだった。かく言う私自身も中所宣夫の「松風」は絶品だったと断言する。それは何よりも今回の中所の松風は、「松風」そのものだったという故である。見る者もまた、それ故にそれぞれの越し方を思い遣り、胸の裡に秘めた切なさを再体験するのである。この日、この時、この一瞬しかない演技に立ち会えたことを幸せに思う。
      「能」というこの不可思議な芸能は、登場人物と演じる者とが一つになり、それを見る者もまた一つの円の如く一体化してこそ、はじめて完成されるものなのかもしれない。(敬称略)                                                              

    秋模様

    • 2011.10.07 Friday
    • 22:03
    JUGEMテーマ:日記・一般
    P1050030.JPG  9月に入ってから種を蒔いたコスモスが花をつけました。白とピンクの二色。このあいだの台風の時には、まだ小さな苗だったので心配していましたので、少し安心しました。固い蕾がまだかなりあるので、これからしばらくの間は次々と花を咲かせてくれそうです。若い頃はコスモスが、それも秋桜と書く、野原に咲くその花が大好きでした。この写真の花は園芸種なので、あの儚げな楚々とした風情はなく残念なのですが…。P1050035.JPG

      武蔵野萩は夏の間にあまりにも茂りすぎていたので、夏の終わりに迷いながらもばっさりと一度ほとんどを伐ってしまったのです。これも果たして花をつけてくれるかしらと半信半疑でした。なんとか無事に秋に間に合ったようです。
    P1050036.JPG                                  そして秋にはやっぱり野菊です。そういえば昔親しかった友人に「野菊の墓」という小説を偏愛していた人がいました。
    切ない恋の物語です。この花を見るとその人を思い出します。薄幸の主人公民子の墓の周りには野菊がいっぱい咲いていたのでした。その人も今はもうこの世にはいません。まだ空蝉が残っていたりして、10月というのに夏の名残りがある庭なので、それほど感じませんが、もっと秋が深まるともの悲しさも増すかも知れません。              

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