5月26日(日)、京都祇園甲部歌舞練場で行われた「京の会」を観に行った。その中で拝見した地歌「古道成寺」について少し書きたいと思う。(以下敬称略)
「古道成寺」は三下り芝居歌。謡い物に分類されることもあり、岸野次郎三作曲(『歌系図』)。作詞者不明。能「道成寺」後段のワキの語りを原拠としながら、語り物としてアレンジされている。地歌の道成寺物のなかでも最古の曲であり、「古道成寺」と称されるのは、後に「新道成寺」や「新娘道成寺」があるためである。
昭和32年に吉村雄輝が振付、新橋演舞場で初演した。京劇の梅蘭芳の『貴妃酔酒』における技法を参考にしたと伝えられる。
緞帳が上がると舞台後方には三双の鳥の子屏風が並んでいる。「 昔々この所にまなごの庄司という者あり かの者一人の娘をもつ 又その頃よりも熊野へ通る山伏あり」」という謡いから始まり、下手から山村若が登場。能舞台のような趣きである。ややあって庄司娘の吉村古ゆうが現われる。二人の素踊りである。
山伏は生成の袴にライトベージュの小格子の着物。爽やかな衣裳である。娘の衣裳は落ち着いた色合いの錆青の着物。同系色の薄青と生成の切嵌の細帯。桜の枝が金糸で刺しゅうされている。
以前見た「ゆき」の時にも溜息をつくほど粋だと思ったが、今回も隅々まで行き届いた感覚が垣間見られた。袖からこぼれる長襦袢の柄は鱗文。舞の中でほんの一瞬ひらりと見えた裾前に桜の柄が見えたように思ったのは勘違いだろうか。いつもながら古ゆうのセンスには感心させられる。
「人目忍ぶのうやつらや せきくる胸をおし静め かの客僧のそばへ行き いつまでかくておき給う……」
そこから古ゆうの抑えた女の情感が光る。堪り兼ねて「夜半(よわ)にまぎれて 逃げて行く」。この時の逃げに逃げる振りの山村若の巧みさ。「幸い寺をたのみつつ しばらく息をぞつぎいたる」僧。(安珍)
やがて逃げられたことを知った女の怒り。「ええ腹立ちや腹立ちや 我をすて置き給うかや」。古ゆうは先程の可愛さとは打って変わり、怒りと執着を露わにした違った顔を演じて見せた。やがて蛇の姿となって日高川と渡る女。(清姫)
ここから山村若は山伏(客僧)から一変して波の姿を舞い分ける。高まる波。沈む波。逆巻く波。女を呑もうとし渦巻く。それらをいつもながらの見事な扇使いで表現してみせる。象徴的でありながらリアリズムをも感じさせる演出である。このワキ僧が二枚扇を用いて波や松などの背景まで表現して、シテの清姫を浮き上がらせていく構成や、演劇的なパントマイムなどの斬新な振付は、初演の際も話題を呼んだという。 片や古ゆうは清姫の高まる情念を六方を踏むことで露わにして見せた。
「住持も今はせんかたなくも 釣鐘をおろして隠しおく」。安珍を閉じ込める鐘。「たずねかねつつ怨霊は 鐘のおりしをあやしみ 龍頭をくわえ七巻まいて尾をもってたたけば 鐘が即ち湯となって 遂に山伏とりおわんぬ」。ここでも現われた安珍は再び黒子と変身する。古ゆうの後ろに回り帯を解き、長く伸びたその細帯は黒と金の鱗の文。その帯に自ら巻かれて「なんぼう恐ろしい物語り」は終わるのである。実にユニークでウイットに富んだ振りである。そしてこの振りを見事に舞い切るのは、やはり古ゆうと若の二人であったればこそと、余韻が残るまま歌舞練場を離れた。
その日の月は十六夜で、旅の空で見上げながら、多分その夜は夢にまで、七巻きまかれる夢を見そうだと妙に胸のざわつく時を過ごした。(了)